2005年 05月 25日 ( 1 )

凶悪犯を生み出したものは?(1)

やっとこれ5月分の穴埋めが完了します。といってしまうと日記の意味がないのですが、この3日間は以前ロスト症候群について触れた際、話が中途半端に終わってしまっていた、殺人犯がどうこうという部分に着目してシリーズで書いてみたいと思います。今日はその導入部分、明日は1つの事件をピックアップして社会と凶悪犯との相互関係について論じ、あさって簡単に結論をさっと出して終了したいと思います。こんなクソ重いテーマを3日間のBlogで論じるのは正直愚の骨頂ですが、これを見てくれてる方が何か考えてくれれば、と思っています。

以前から何回かBlogで言ってきたことなんですが、基本的に凶悪犯の存在の帰結を問うと社会に戻ってきます。要するに凶悪犯は自らが起こしたそのclimeに対する罪を刑事責任、民事責任(場合によっては行政責任も付随)で償わなければなりませんし、climeから派生するsinによって生じる様々な道義的責任も同時に甘受しなければなりません。ただこれで終わりか?と聞かれた場合、ほとんどの人は違うと答えるのではないでしょうか。未成年者による犯罪は置いておいて、成年者が犯す犯罪のみ考えたとしても、例えば池田小児童連続殺傷事件で死刑に処された宅間元死刑囚・・・彼がこの世を去ったとしても、事件の爪痕はまだまだ消えることはないでしょう。死んでも償いきれない罪の類は、このようになってしまう場合がほとんどではないでしょうか。

だとすれば、残りの責任の所在はどこにあると考えることができるでしょう?ある人はその凶悪犯の直系尊属やその親族と仰るかもしれませんし、またある人は(仕方ないが)遺族がそれを受けるしかないんだと仰るかもしれません。ただ私はもっと視野を広げ、社会全体の構造論から見つめなおす必要があるのではないかと感じています。

明日のBlogで、具体的な例を1つ挙げまして、なぜそのようなアプローチをする必要があるのかというのを論じてみたいなと思います。勿論このような考えに対しては多角的にアプローチする必要があるので、構造論のみでどうにかなる!なんてトンデモは発しません。むしろアプローチの1つとしてここに重きを置いてみるのはどうよ?という1つの提案だと受け止めていただければ幸いです。
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by toranoo0812 | 2005-05-25 00:00 | 日常生活